無料ダウンロード上に立つ者の心得 『貞観政要』に学ぶ pdf

上に立つ者の心得 『貞観政要』に学ぶ

によって 谷沢 永一 (著)


4 5つ星のうち(4人の読者)

無料ダウンロード上に立つ者の心得 『貞観政要』に学ぶ pdf - 「貞観政要」を読まなかった信長、秀吉の政権は短命に終わり、読んだ家康や北条政子の政権は繁栄を築いた−。儒学のエッセンスを実践的にした「貞観政要」を読みながら、現代に通じるリーダーのあり方を語る。〔新装版のタイトル:貞観政要〕【「TRC MARC」の商品解説】

上に立つ者の心得 『貞観政要』に学ぶの詳細

本のタイトル : 上に立つ者の心得 『貞観政要』に学ぶ
作者 : 谷沢 永一 (著)
ISBN-10 : 978-4-88474-817-3
カテゴリ : 経済・ビジネスの通販
ファイルサイズ : 23.9 (現在のサーバー速度は26.58 Mbpsです
以下は、上に立つ者の心得 『貞観政要』に学ぶに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
命日を祝う? ** しょうこりもなく写真集を買ってしまいました。「路地の記憶」(小学館・¥2415)です。この本。ほとんどが、昼間の日が差している路地が写されております。こうして身近にあるような路地からの発想というものがあってもよいですよね。そういう視点から、私は今回の本をとりあげてみたくなりました。うん。袋小路や、突き当り。Y字路。どこに出るやらわからない路地の風景みたいにして細かいところを引用してみたいのでした。では、はじめます。太宗ならではの傑作な話として、紹介されているエピソードがありました(p175)。【谷沢】・・貞観17年、太宗が周りの者にこう言ったというんです。・・・誕生日というのは喜び楽しむ日ではなくて、むしろ自分を生んでくれた母の苦しみを静かに思いめぐらすべき日であると言っているわけです。・・これは僕は傑作だと思いますね。こういう皇帝はちょっと例がないと思う。【渡部】東西に例がないでしょうな。だけども、いい独創ですね。【谷沢】ええ、実に清らかな独創です。ここから結びつく発想が私には刺激的でした。【渡部】これは大変なことですな。しかし考えてみると、日本では誕生日を祝わないで命日ばかり祝っていたんじゃないですか?【谷沢】あぁ、そうですね。【渡部】私の子供の頃に誕生日という観念はなかったですね。むしろ、今日はお祖母さんが死んだ日、今日はお祖父さんが死んだ日と、命日ばかりでした。そのほうが太宗の感覚には合いますな(笑)・・・誕生日を祝わないという日本の習慣がどこから来たのかわかりませんけれど、みんな亡くなった日を偲んでいたというのは、どうしてでしょうね?・・・・この誕生日を、まるで逆にでもしたような命日を祝うという発想がどこからきたのか?・・・というよりも、そこで私が連想したのは将棋のことでした。将棋には持駒の使用ということがあります。相手からとった駒を、こちらで使うのでした。木村義徳氏は「日本将棋は外国の将棋にくらべてきわめて特異である。まず持駒使用がほかになく、最大の特長であることに異論はないと思う」(「日本文化としての将棋」三元社)また対談にもどります。【谷沢】太宗が偉いのは、自分の反対派であった人物を許して、逆に諌議大夫に取り上げている点です。【渡部】魏徴(ぎちょう)ですね。この人は太宗が殺した皇太子ーー自分の兄ーーの家来だった。【谷沢】そうです。太宗が李世民(りせいみん)と名乗っていた頃、皇太子であった兄の李建成と、弟の李元吉を殺すわけですね。いわゆる「玄武門の変」です。これは李世民の人望に危機感を抱いた二人が結託して李世民を亡きものにしようと謀ったのがそもそもの始まりなんですが・・・結局、李世民は皇太子になって、お父さんの高祖から位を譲り受け、確か27歳で即位して太宗になります。それから24年間の在位中、太宗は兄を殺したという決定的な負い目を背負い続けた。それを帳消しにするために、太宗は名君たらざるを得なかったとも言えるでしょう。・・・(p41~)この本では「貞観政要(じょうがんせいよう)」の内容をお二人が語っております。その貞観政要には、唐の太宗とその臣下のやりとりが事細かく書かれているのでした。「唐の太宗は、王を諌(いさ)める役目の諫議大夫(かんぎたいふ)という役職を置くわけですね。・・・シナの長い歴史の中でも諌議大夫がこれだけ活躍したのは唐の高祖と太宗の時代だけです」(p39)ところで、どうして将棋の持駒が日本だけの特色となったのか?ほかならぬ、中国では持駒という発想はなぜ消されたのか?たとえばここで、中国の文化大革命の毛沢東はどうだったのかを、引用して参考にしてみてもよいのでしょう。「毛沢東は『大鳴大放大弁論』をしようと知識人に呼びかけ、大いに意見を出し合い、大いに討論し合おう、党組織の『整風』を手伝ってくれと呼びかけた。でっち上げて攻撃はしない、あら探しはしない、レッテル貼りはしないと保証するから、と約束した。これに応じて多くが意見を出したところを見はからって、毛沢東は全国の右派を捕らえよと号令を下した。その結果、53万人もの知識人が敵とされ、数百万人が批判闘争でつるし上げられるはめになった。・・」(「中国がひた隠す毛沢東の真実」草思社。p241)写真集「路地の記憶」をめくりながら、ここ日本では将棋をしながらでも、唐の太宗の時代を語る楽しみが、あるのだと思ってみたりするのです。

0コメント

  • 1000 / 1000